しょうゆ顔とソース顔

 どうやら我々はとんでもない思い違いをしていたようだ。俗に、のっぺりとした薄い顔のことを「しょうゆ顔」、彫りが深くて濃い顔のことを「ソース顔」と言ったりするが、「157円の切り餅1パックで一週間生活する男」として私がこの世に生を受けてから、ついさきほどアロエドリンクを飲んでいた際に大きめの果肉がストローに詰まって激怒した瞬間までの25年間ずっと、「しょうゆ顔」と「ソース顔」そのどちらもが顔の薄い人のことを指す言葉だと思っていた。

 
 どういう理屈でそうなったのかというと、まずしょうゆをかけないと食べられないぐらい薄味の顔のことを「しょうゆ顔」だと定義するのではないかと推測した私は、ならばしょうゆよりも味に対する影響力の強いソースを必要としなければならない「ソース顔」は、しょうゆよりもさらに薄い顔のはずだと考えた。実際に私は生まれたてのカンガルーの赤ちゃんに匹敵するのっぺりしょうゆ顔なのだが、昔インターネットの掲示板で「しょうゆ顔?ソース顔?」との問いに対して「史上稀にみるソース」と答えている。限界を突破したしょうゆ顔のくせに。おそらくその答えを聞いた人間の想像の中での私は、石原良純名倉潤を足して二乗してそこにグラディウスのハイスコアを加えた新人類になっているだろう。もうわかりにくいから目玉焼きにしょうゆをかけるかソースをかけるかで決めればいいのに。どっちにしてもしょうゆだった。